詩編97章10節 主を愛する人は悪を憎む。

10節 

主を愛する人は悪を憎む。主の慈しみに生きる人の魂を主は守り/神に逆らう者の

手から助け出してくださる。

神様は誤魔化しや狡い事や騙しや嘘や悪口や裏切りや陥れたりの卑怯なことを嫌われる。

神様を知って人を憎むのではなく悪を憎むことを学んでいる。すぐ許すことが難しい時も

そのまま主に祈ることはできる。自分の中の罪深い負の思いも神様の光に照らされる時に

自己嫌悪と共に悔い改めに導かれ罪を犯す前に神様に気づかされ守られること感謝します。

飼い主は羊を外部の悪から守り、迷える仔羊も探し出し牧場に連れ戻してくださるお方。

昨日は東京の天気予報が晴れと曇りマークだったし息子が出かけている間に思い切って

義姉宅にお見舞いを兼ね久しぶりに車で出かけることに。高速を使い往復100キロ位です。

義妹を看ていた義姉が姪に頼んでほっとしたからか急に足が弱りキッチンから玄関まで

すぐ行けたのに歩幅が狭くなり掴まって歩くようになったとか。義妹の銀行振り込み等も

行くのも大変になりいよいよ後見人を頼まねば、ということで話し合いになりました。

見回せば姪の妹は介護の真っ最中、我が家の娘は海外で、できるのは隣に住む姪だけと。

義妹を看ていることもあり「受けるよ」との返事に安心しました。家庭裁判所に申請書を

出すことになりいよいよこれからですが、義姉はどこか寂しげでした。姪っ子の家に妹の

すべてが移ってしまうような喪失感があるのかもしれない。イエス様に慰めを祈りました。

妹を看ていた頃の義姉は血圧が上がってしまったなど、こぼしながらもどこか張りがあり

活き活きしていたようですがしぼんじゃったような様子でした。みんないつかは地上での

鎖を外し神様の待っていてくださる天へ帰ります。信仰だけを抱えて今までを感謝しつつ。

義姉や義妹、姪にもイエス様を伝えたい。死は終わりではなく、永遠の命のための通過点。

見えるものにしがみつかず見えないものに心を留めた時に希望の光が見えると思うのです。

先に救いに預かった者として祈りあっていこうと話しつつ帰宅、夫もほっとしたようでした。